はじめに(前編)

これを見てくださっている皆様、こんにちは。若葉です。

これから「若葉の想い・・・」と題しまして、若葉の頭の中で考えていることを、ただひたすらベラベラと喋る場所というか機会を設ける事にしました。

こんな自己満足(まあ今までのHPの運用も自己満足でしたが)のためだけとしか思えないことを考えたのは、私個人の事情によります。

ご存知の方もいらっしゃるかとは思いますが、若葉は、数年前から「自律神経失調症」という、最近流行(?)の現代病を患ってしまい、現時点で、精神病患者の入り口みたいな所に立っている状態です。

精神病というのは、子供の頃からつい最近まで、とても恥ずかしい病気で、人様の前に出られるものではない。と考えていましたので、今になってやっと話せるようになったといいますか、つい最近まで恥ずかしい事だと認識していましたので、公の場で「若葉は自律神経失調症です」とはとても言えませんでした。

この病気にかかったきっかけは、仕事がハードな上に、会社の上司と性格が合わず欲求不満というか、心の中の鬱憤が溜まっていったからだと、最初は考えていました。

欲求不満の状態は、趣味に没頭するなり、人に愚痴等でもいいからプライベートな話をしたり、お酒に走ったり(これは良くない事ですが)といった手段で、気分転換すれば解消できるものだと、若葉は思ってます。
また、それが出来なかったから、精神的に追い詰められて、病気になったのだと思います。

嫌な上司や辛い仕事、それに耐え、心の中の鬱憤を解消する手段は、当初はありました。
それが出来なくなったのは、私が27年間生きてきた環境と、妻である楓には非常に申し訳ないとは思いますが、楓に出会った事だと考えます。

楓と出会い、お互い恋に落ちるまで、時間はかかりませんでした。
私は東京に、楓は名古屋に住んでいましたが、お互い毎週のように会い、毎日1時間以上電話する事が日課になっていきました。

長距離恋愛はお金と時間がかかります。
楓に夢中だった私は、私の持っているお金と時間を、楓に集中させました。その結果、私の良き友人や同僚達との交流が激減しました。

時間が経つにつれ、楓が私の心の支えになっていました。
ただ、楓を頼っているのに、楓に本当の私の心を開くことはありませんでした。
自分の両親を見ていて、男が女に対して弱い部分を見せるのは恥ずかしいこと。そう思っていたからです。

そして気が付くと、仕事をしていると、激しい頭痛、眩暈、嘔吐、腹痛に襲われ、とても仕事が出来る体調ではなくなっていました。

最初は風邪だと思っていたので、社内にあった病院(内科)に通い、薬を出してもらうのですが、全然良くなりませんでした。
精密検査を受け、薬剤投与等の治療を行いましたが、「身体的には問題が無い」という医師の結論を受け、心療内科の開業医を紹介してもらいました。

この時点では、私が精神的に追い詰められているとは、考えもしませんでした。
最初に行った心療内科では、私の体調は全然良くなりませんでした。
体調も芳しくない為、会社は休職扱いにしてもらい、自宅療養の形をとりました。
これが平成11年4月頃の話だと思います。

楓との結婚話は、私の体が不調になる前からありました。
会社を休職している状態で、「楓と結婚し、楓を幸せに出来るか」と、かなり葛藤した時期がありました。
しかし、挙式会場が既に予約済みだった事と、楓と早く所帯を持ちたいという気持ち、自宅療養、薬剤投与によって、自宅で生活している分には、体の調子が良くなっていた事もあり、平成11年10月末に楓と結婚し、それとほぼ同時期に職場復帰をしました。

ところが、職場復帰してみたところ、また職場に行くと体が不調を訴え始めました。

仕事らしい仕事は、見事に出来ませんでした。
もちろん、復職後も、病院には通院し薬も飲んでいました。
それでも、体は言う事を聞きませんでした。

部長級の上司と面談の結果、産業医の紹介で、某横浜の病院のY医師(心療内科の世界ではかなり有名な人らしいです)にお世話になり、再び会社を休職扱いにして頂き、自宅療養にて、治療に専念しました。
これが平成12年5月の話です。

Y医師の元、薬剤投与中心の治療を行い、また体調が良くなりました。
休職中の身分では、当たり前ですが、収入がありません(保険が降りましたが)。
そういう事情と、ある日、部長から「来月までに復職しないと会社の規定で解雇せざるを得ない」と、「突然」宣言されたため、私は慌てて職場復帰しました。

でも、職場に復帰しても、昔のような仕事は出来ませんでした。
Y医師からは「投薬は必要だが、仕事は問題なく出来る。あとは自分次第」という言葉を貰ってはいました。
だから、自分自身が弱いのだと思い始めました。
前々から薄々とは思っていましたがね。

それから色々とあって、妻である楓、医師、両親、上司と話し合った結果、会社を辞めて、新天地で気分一新することにしました。
これが平成13年7月の話です。

Y医師からは、
「私からの治療はもう必要ない。新しい生活をしていて、また体調が悪くなった場合に備えて、一応紹介状を書いておきましょう」
と言われ、某名古屋の病院の紹介状を頂きました。

私はこの紹介状は使うつもりなど毛頭無く、
「心療内科や薬ともこれでサヨナラ」
本当にそう思ってました。

新天地には、名古屋を選びました。そこで簡単に再就職することが出来ました。
「気分一新、会社も住所も変え、明日から頑張るぞ」気合は十分です。

しかし、再就職してから数日経過して、また私の体調は悪くなりました。

「何故!」と、心底焦りました。
そこで、某名古屋の病院に行くことを決めました。
私の体はまだ治療が必要なのだと。

某名古屋の病院でこれまでのいきさつを説明し、薬を処方してもらい、新しい会社には体調不良を誤魔化しながら行きました。
しかし、ある日会社で突然倒れ、気が付いたら病院にいました。

後日話を聞くと、会社の廊下で倒れている所を発見され、救急車に乗って運ばれたそうです。
私が正常(?)な意識を回復したのは、病院のベットの上でした。

入社直後で、欠勤、早退も多く、会社で倒れる。こりゃ解雇だな。と覚悟しました。

新会社は、倒れた事もあり、一時的に休職状態だったのですが、入社直後の試行期間中であり、これ以上休職すると、退職届を出さざるを得ない。という現状を、新上司から聞かされ、医師の反対の元、「また」無理矢理復職しました。

現在は、復職して間もないです。
私の所属している部署が9月30日付けで解散し、新体制になっているため、ネットワークエンジニアとして働くつもりだったのに、全く未知の仕事をやることになりそうなので、体調が悪くなればもちろんの事、
体調が良くなっても、退職届を出さざるを得ない状況に今はあります。

・・・とまあ、ここまでが私の現状です。

若葉、大ピンチです。

(2001/10/08)

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